歴史:郷中での武道修練


薩摩藩で行なわれた武道には、剣術(八流派)・居合(一流派)・槍術(二流派)・弓術(二流派)・柔術(二流派)・砲術(三流派)・小筒(一流派)馬術(四流派)等種々があり、その流派も多様であった。藩学演武館には、各種武術の師範家とその道場があって、館生達は自分の好む武術を志して修行に励んだ。ただし胸中においてはこれら多種多流の武術が行なわれたのではなく、ただ主として剣術が行なわれ、その中でも示現流が普通であった。

 

郷中では、毎日の日課として稚児も二才も打ち揃って定められた剣道場に赴く。この道場は大抵は簡単な構造であって、囲いのある土間で、その周囲に腰掛け用の石が置かれてあったばかりだという。また定まった道場がない郷中では、差し支えの無い家を持ち回りで稽古場と定めた。

 

剣道場では二才達がもっぱら指導に当った。二才達は、その広場に適当な間隔を取って位置し、稚児達は年齢の順に腰掛けについていてつぎつぎに稽古する。二才たちはそれぞれ稚児達の「ダシ」となって、数人に稽古をしてやる。「ダシとなる」というのは、稽古土台となって稚児の練習に加勢する意味の俗語である。かくて猛烈な稽古が行なわれて暮れ六つ(午後六時)となると「モドレ」の命令が出て、稚児達は急いで帰宅する。六つ以降は稚児達は単独外出が禁止されているからである。

 

また、剣道場には「星帳」というものが備え付けてあって出席と欠席とを厳重に調べ、欠席の時は届けを出してその理由を明らかにし、「差し支え」または「病欠」などと記入するようになっていた。

 

以上のように郷中教育では各舎において腕に覚えのある先輩達によって後輩に対して指導する、流儀流派の師範家制度とは違った方法で武道修練が行われた。武道の修練で心身を鍛え、薩摩精神の真髄である「自主性」、「主体性」、「実践力」を養成した。