歴史:郷中での詮議


郷中の二才衆の精神を研磨し、思考の適正、判断の適確を期する思考訓練の方法として、詮議というものがある。「詮議」とは通常「取り調べる」とか「詳しく調べる」という意味で使われる。したがって郷中教育に於いて特殊な意義として用いる詮議を、適確に定義することは困難である。ある人は「智力養成の一方法」といい、他の人はこれを「禅宗の公案のごときのもの」と定義する。これらはいずれもその一面を強調するに止まり、あるいはその大概を語っているだけで十分ではない。詮議が禅の公案の如く、問題を提出され、これについて思考し、その解決を求めて努力する点では類似するが、その内容に至っては大いに異なっている。詮議が知力、すなわち思考する力、判断能力を練磨することを眼座いているのは確かであるが、しかしそれは単なる知力・判断力の養成ではなくて、機に臨み変に応じて適正なる処置が為し得る逞しい実践的判断力を養うことを目指しているのである。

 

 詮議の問題を課すことを「詮議を掛ける」という。これを行なう時は、先ず「詮議の籤」を引く。これは小さい竹筒の中に、(1)から(30)程のまでの番号を掘り込んである棒が入っていて、これを籤として引く。最も若い番号を引いた者が、「詮議を掛ける」立場に立つのである。しかし時には突然に「詮議を掛ける」こともある。    例えばみだりに他人の家の垣根の竹を切り採っている者を見かけたときに、直ちに近くに寄って詮議を掛ける。

「汝、もし竹を切らんとする時、その家の下人(使用人)が出てきて汝の頭上に糞汁をかけたときにはどうするか」と。

詮議を掛けられた者はすぐその場で解答しなければならない。そしてその解答が適当と認められるまでは、どこまでも追及される。

「詮議掛け」は原則として二才達の間で行なわれた。しかし時には二才が稚児に対して試みることもある。この時はもちろん簡単な問題である。

 

例えば

問 「道の途中で狼藉者に出会い、突然頭部を殴打されたとする。

   この場合はどのように対処するか。」

答 「直ちに斬り捨てる。」

問 「斬り捨てた後はどうするか。」

答 「その筋(役所)へ届け出る。」

 

 このように反復門答の間に、自然に推理の能力を養い、思考力を修練することを本旨とするのである。